チェッカーズの思い出
先日、チェッカーズを取り上げました。きっかけはクロベエこと、ドラマーの徳永善也さん死去に関するニュースでした。その後、私の予想以上にアクセス数が増えました。たいした情報もなかったはずなのに恐縮です。
評論家然としてしまいますが、改めて私のチェッカーズに関する思い出を書いてみたいと思います。
チェッカーズの結成は1980年、メジャーデビューは1983年でした。当時はアイドルで言えばたのきんトリオ、松田聖子などが大人気。また、現在でも「花の82年組」と呼ばれるしぶガキ隊、松本伊代、小泉今日子、中森明菜などなど、どちらかといえばアイドル全盛。その一方で演歌とアイドルの中間であるニューミュージック勢、松山千春、さだまさし、長渕剛、松任谷由美などが多くのファンを獲得していました。
チェッカーズは、アイドル全盛時代の中で、アイドルチックなロック系バンドというイメージが強かったように思います。
デビュー曲の歌詞そのままのようなキャラクター、バンド名そのまんまのチェック系衣装(^^;;; 藤井フミヤのボーカルはもちろんかっこうよいのですが、高杢禎彦、鶴久政治のコーラスそして藤井尚之のサックスも印象的なバンドでした。
本格的に人気が爆発したのは、テレビ東京系(当時はまだ東京12チャンネルだったかな?)の「おはようスタジオ(志賀正浩さんが司会をしてました)」にて、レギュラー出演だったかな? それに近いヘビーローテーションがかかるようになってからだったと記憶しています。2曲目の「涙のリクエスト」が大ヒット。それに釣られてメジャーデビュー曲「ギザギザハートの子守唄」の人気が再燃、3曲目の「悲しくてジェラシー」発売に至っては、オリコン史上初の「3曲同時シングル週間ベストテン入り」を果たすほど、人気が過熱しています。
個人的に思い入れが強い曲は、「Song for U.S.A.」です。テレビ、映画、とアイドル的な活動をフルに行っていた彼らが、この曲を最後に以降、オリジナル曲、そして音楽活動中心へ軸を移していきます。
キュート・ビート・クラブ・バンドという挑戦を行ったのも、音楽性重視の活動の中から生まれたものでしょう。
自分たちの音楽性追及と、アイドル的な人気で何をやってもそこそこ売れてしまうというギャップ。バンドとしての晩年は、そのせめぎあいだったのかもしれません。そして、1992年の大晦日、紅白歌合戦のステージを最後に、チェッカーズは解散してしまいました。
藤井フミヤはその後、ソロ活動とか、実弟藤井尚之との活動などで音楽業界で目立った活動を続けていけているように思います。もっとも、最近はCGクリエイターとしても活躍しているようですが。
80年代は、私にとっていちばん多感な時期でした。その時期に世の中の注目を特に集めていたスーパーバンドが、チェッカーズだったのです。年齢的にも実は、私とそれほど離れていないのに、そのメンバーがもう、集うことがありえない、という状況になってしまうとは、本当に悲しいです。
※チェッカーズの各種アイテム、こちらにそろえました。
8月 19, 2004 | Permalink | トラックバック (2)

