小説家になりたい友人
小説を出版したことのある友人(男性)と比較して、小説を書いてみたいという友人(女性)の話を聞いていると、そのやる気に関しては少々買ってもよいか、と思う反面、実際にはまったく小説を書いていなかったりする。書いたものを読ませろ(いちおう元編集者である。小説のそれは経験ないけど)、といっても出し渋る。人生経験はそこそこ豊富なのだからそのままを文章にするだけでも十分小説なのだろうから、と説得してみても、その歩みは遅い。
西洋風のポジティブシンキングによると、夢を語り、その夢を実現するための行動を続けているなら、人は必ず成功するのだという。成功しないのは、途中であきらめてしまうから、自分で勝手に限界点を作ってしまうからなのだという。
勝手に限界点を作る、ことに関しても、常に成功をイメージしていたら本当に成功する、ということに関しても、実体験として心当たりがある。
思春期のハシカのような症状として、多くの人が芸能界や、スポーツ選手のような、己の力によってのし上がっていく世界に憧れる。もちろん、トップクラスの実績を上げて、本当に稼げるようになる確率はかなり低い。リスクが高いがあきらめずにがんばる人もいる。
プロ野球などスポーツ選手の場合、まずその素質として、せめて自分が通う学校、市町村、あわよくば県レベルでトップクラスの体力、走力、能力などがないと勤まらない。その上で、やはりすばらしいコーチに見てもらい、運よくよいアドバイスなど受ける必要があるのかもしれない。多くの人にとって、スポーツ選手として一流を目指すというのは、比較的早い時期に高いハードルにぶち当たるがゆえにあきらめやすいのだと思う。
ところが、歌手とか、小説家という知的労働の比重が比較的多い職業を目指す人というのは、これはハードルが低いように見えるせいだと思うが、かなりあきらめが悪い。そのあきらめの悪さを、粘り強さに転化させることができるなら、時代が勝手にその人を求めてくるのを待っていれば良い思いができるのかもしれない。
特に、小説家を含む文筆業に関しては、パソコンとインターネットの発展により、ろくに漢字の意味を知らなくても、文章を読みこなし、組み立て方のコツをつかんでいるなら、誰にでもチャンスが手を差し伸べてくれているようにも見える。
その友人(女性)に最初に出会ったころ、短編で十分だから、インターネットのホームページに公開して読んでもらい、反応を聞いてみれば、というアドバイスをしてみた。しかし彼女は、日記っぽくなりがちな文章をなんとなく公開するだけ、というような後ろめたさ、気恥ずかしさを感じて嫌がっていた。その前に、ホームページ作成のハードルの高さも障害だった。自主的にADSL回線を引いて、インターネットを楽しむなんていうユーザーは、まだそれほど多くないのだな、と改めて感じて、そのときの話は比較的早くしぼんだ。
先日、久しぶりに彼女と、小説を書くことに関して話し込んだ。当時のことを彼女はよく憶えていた。そして、昨今の、インターネット上のテキストを元に出版が行われ、それがものによってはかなり売れている、という話も知っていた。
「あのとき、言われたとおりにホームページを立ち上げてみればよかった。でも、何かと忙しいのよね。」 夢を実現できない人は、やはりまず後悔と言い訳が先に口に出る。
彼女には、最近はブログというものがあり、もっと簡単にインターネットで作品を公開できるようになっているから、今度こそやってみれば、と話をしてみた。しかし、今の様子だと、彼女はやはり、日々の生活に終われ、子育てに忙しく、働いて過ごすだけで終わりそうである。
ところで、先のもう一人の友人(男性)は、後に大病を患い、生死をさまよったのだが、無事に回復し退院した後、そのときの様子を残したメモを元に、闘病記をブログで公開している。まさに文筆業根性のたまものであり、本気で小説家など目指すのであるなら見本にしてほしい行動である。ちなみに、未完の戦記ものをこの連休中に完成させる予定とのこと。彼は執筆に関する企画の話をするときは生き生きとしていて、見ていてとても気持ちがいい。
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